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今後の展望と課題

2019年7月2日 - 未分類
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世界の覇権を奪おうとする中国とアメリカによる米中貿易戦争が新時代の冷戦へと拡大し、日本も周辺関係国として戦後と言われた時代を終えて、令和と共に新たな時代に突入しようとしている。

2018年10月4日、ハドソン研究所にてペンス副大統領が米中関係に関する大きな意味を持つ演説を行った。一部の人はそれを現代のハルノートであると表現しているほど、米中の対立を明確にした演説だった。日本は安全保障上でも経済上でもこの二カ国に対して無関係で居る事は出来ないと推測している人がほとんどであろう、むしろ、中国から領土的な侵略を受けつつある日本は、他に東アジア近辺では中国に対抗出来得る有力な国も無い事から、東アジアでの世界秩序を維持するために、対中国防衛で米軍と共に主体的な行動を取り、南シナ海域を奪われたベトナム、フィリピンや、西と東で中国を挟み込む地理的条件であるインド、そして台湾などと協力し合い、中心となってアジアの秩序を守る必要があると考える。今後の日本はどのようにすべきなのか、近現代の歴史を振り返る事で考察していきたい。

戦後七十数年、現代の日本人は中国や北朝鮮の脅威に鈍感となり、今の平和が永遠に続くと錯覚しているのではないかと感じる事がしばしばある、しかし実際は沖縄や北海道の琉球民族やアイヌに対する独立を煽った日本国内の分断工作、日米同盟を離間させる工作、その他、日本が満足に国家防衛できないままにしていようという憲法改正に対する世論工作がなされているのではないかと、明確な証拠はないものの、肌身に感じている人は多いのではないだろうか。ほとんど報道されていないが、尖閣諸島は中国の漁船や公船が常に出入りし、今までそこで漁業を行なっていた八重山漁業組合の漁師たちは、その漁場を追い出される形となり、中国は去年、自国の漁師たちに、尖閣での漁業を解禁している。即ちこれは日本国沖縄住民の権益が中国に奪われた事になり、日本の漁師が日本の領海から追い出され、図々しくも中国の漁師がそこで漁業をしているという、完全な侵略であるが、メディアは中国漁船や公船が尖閣に着ている事は報道しても、実際に、現実的な権益が奪われた事に関しては、ろくにこれを報道せず、石垣市の担当者もこの件で「日本メディアより海外のメディアの方が取材に来る」と言った始末である。

それでもミサイル防衛システムであるサードの設置に抵抗する層や、改憲に反対する層、日本の防衛能力を高める事に反対する層が国内に存在している「日本人は平和ボケをしてしまった」という言葉をよく聞くが、それでは、平和ボケをする以前の日本人はどのような性質を持っていたのかを知る必要があると考える。

日本は島国であり、大陸国家とは違って、海を防壁として守られてきた事から、他の周辺民族と領土を争って戦争をする事は少なかった民族であると考えられるだろう。

日本人の民族性と言えば武士道を思い浮かべる、その武士が居た江戸時代の日本人はどのような性質だったのか、チャールズ・マック・ファーレンが残した、日本1852、ペリー遠征計画の基礎資料にそれを垣間見れる記述があった。この資料は欧州の人々が戦国時代の日本にやってきて残した資料を、チャールズ・マック・ファーレンが集め、日本を開国させるためにペリーが活用した資料であるという事になっている。

日本人の宗教に対する価値観について「メイランは彼らの間で宗教論争というものを見た事がなかった。他宗に対して嫌悪する事なくむしろ敬意を以て礼儀を尽くしていた、それはインドや中国など外国から来た外来の神に対しても同じであった。日本人がこれほど他宗に対して寛容な精神はどこから着てどうやって維持されているのだろうという質問に対して私はこう答える。どの神を信じてようが内裏を主として認めているからだ。内裏はその神性を崇めるものすべてを守る存在となる。その崇める流儀について内裏が問う事は無い。キリスト教も、宣教師が尊大になる事が無く、他宗を辱める事も無く、欲望を貪る事が無く布教に励んでいれば、日本には間違いなくキリスト教が広がっていただろう。」

現代日本人がクリスマスを祝い、お盆に帰郷して先祖崇拝文化の影響からくる儒教によって先祖を慰霊し、お正月を祝い、神社に参拝し、交通安全、安産祈願とお守りを複数持ち、結婚は教会で、葬式はお寺でやり、妃殿下たちはキリスト教系学校へ行く。
それでも誰も大きな問題にしないのは、日本人が元々八百万の神で、天皇陛下もどの神を信仰しようと規制せず、陛下自身も仏教に出家してしまう事が度々あったほど日本人は宗教的に寛容だったからである、と考える事が出来る。

当時の白人貿易商もこのような日本人を見て不思議に感じたようだ。

「日本人は様々な神を敬い大切にする、しかし彼らは自分を無宗教だという」

現在の日本人も、様々な宗教を祭りながら自分を無宗教であるという点でメンタル、物事の考え方が同じなのであろう、過去の日本人の性質を受け継いでいる面はあるのだと、少し変なところではあるが安心したものでした。

この宗教的価値観は、政治思想や、こう生きるべきだといった思想哲学よりも、さらに根底の、日本人としての根本の性質であると感じる事が出来る。こういった精神構造の土台の上に、日本人とはどうあるべきか、武士とはどう生きるべきかと言った、日本人として生きる思想や哲学が乗っかるのだろう。

新渡戸稲造は、外国人に対して日本人を紹介するために武士道を書いた。騎士道はバラを愛し、武士道は桜を愛する。この武士道はいくつかの要素によって項目が分れ、日本人とはこのような人々ですという紹介をしている。

日本の歴史で武士は一部の人だけだったという主張をする人が居るが、新選組を見てもわかるように、当時の若者たちは武士に憧れ、武士になりたいと欲し、武士のように生きようと決めた人々も多かった。武士ではない新選組は、より武士らしく生きる事を自らに課し、その局中法度と呼ばれる掟の第一条には「士道に背くまじき事」これに背けば切腹だったほど、武士ではない彼らは武士として生きる事を目指した。そして、そのような若者が日本国中に居た事を思えば、武士道が日本人の国民性であると考えるのは不思議ではない。

その武士道に書かれた代表的な要素の一つを、新渡戸はこう記している。勇の要素。「義を見てせぬのは勇無きなり」これは、正義を行なうべき場面を見ても、それを行なわないのであれば、それは勇気が無いだけであって、武士とは言えない。という意味で、勇気とは日本人にとって最も大事な要素のひとつであり、勇気が無いというのは日本人でも最も嫌われる欠点の一つでした。

現代の日本を見れば、チベット人やウイグル人や法輪功を弾圧し、東シナ海や南シナ海を侵略し、高利貸しで経済の弱い国から港を強奪し、日本の唯一の同盟国であるアメリカと完全な対立をし、日本に侵略をしつつある中国に対して、自民党の支持母体である経団連を筆頭に、資本主義を過度に信仰し過ぎたカルトのように、いくら食っても食い足りない餓鬼のように、節度を忘れて金に盲従した人々が、この日本人の武士道、正義を見たら行うべきだという思想哲学を忘れ、世界最多の人口から来る市場を捨てる事が出来ず、金のために、道徳も正義も国防さえ忘れて、今も中国のご機嫌ばかりを見ている。客観的に見れば、これは正義を忘れただけでなく、正義を見て見ぬふりをしているばかりでなく、中国の悪行に手を貸す行為であると言っても過言ではない。

何故このように正義も道徳心も忘れて金にばかり走るように、日本人は変遷してしまったのかと思えば、それは、先の大戦で敗北し、GHQが日本に乗り込み、ウォーギルトインフォメーションプログラムの一環である、30項目における言論の検閲をした事によって、戦争を開始した日本の正統性を主張する事もできなくなり、大東亜戦争は日本が一方的に悪いといった日本悪論が広まり、これらの検閲を日教組が利用するようになり、それは学校教育にも反映された事を大きな原因のひとつとして、「日本は悪である」と、学校へ通う子供時代から半ば洗脳された日本人は、祖国を愛する心を持つ事が非常に困難になっていきました。子供は正義を好み、憧れる傾向にあり、日本が悪だと教われば、日本を愛する心が自然に育つはずもない。正義の味方になり切って遊ぶ子供は見ても、悪になり切って遊ぶ子供を見る事は稀だ。

人が生きるのに必要なものは、心によりどころを持つ事である。子供は親をよりどころとし、大人は国をよりどころとする。しかし愛国心を持てずに育った日本の世代は、国を愛する代わりに資本主義を信仰して金を求めてそれを得る事で、心の支えにしてきたのだろう。日本人はすっかり愛国心を失い、その代用として資本主義に対して偏った愛を向けるようになってしまったと感じる。

誰でも自分が生まれ育った故郷を愛するのが自然であるが、その故郷の延長にある国家を愛する、愛国心と口にすれば軍国主義者だとか右翼だと非難され故郷を愛するのは良いが国はダメだという理解不能な社会に突入し「国のために」という意見を言うのも憚られる社会に陥ったため、「変えてはいけない」と神の言葉が書かれた聖書の如く扱われてきた憲法が、結果的に「国防のために憲法改正を」と、堂々と言えるようになったのもここ数年であると感じる。

つまり、人間それぞれ個々に持つ、良心からくる正義の心を以て、国を守りたい、故郷を守りたいという気持ちから、軍備を拡大しつつある外敵に対応するため憲法を改正して軍備を整えよ、とは今まで非常に言い難かったのと同時に、日本に迫る外国の脅威も語られる事が非常に少なかったのである。

高杉晋作は上海見聞のために大陸へ渡り、白人国家に支配された中国人たちが、白人の子供に「どけ」と言われてぺこぺこと道を開けるのを見て、日本も白人たちに侵略された場合はこうなるのだと危機感を持った。

過去の歴史を振り返り、今現在迫害されているチベット人やウイグル人を見て、尖閣を侵略されつつある日本人は一体何を思う事だろう。もし日本人に健全な愛国心育っていれば、「日本だってこのようになっては困る」と、中国に対して、人道に反する事はやめよという声が、もっと多かったはずだろうと推測する。

経団連の人々も、もし健全な愛国心が育っていれば「いくら金が欲しいと言っても、このまま中国に経済面で協力すれば、日本が危ないぞ」という危機意識を持っていたはずだろうと推測する。裏を返せば、つまり彼らは愛国心を持たないために、この期に及んでまでも中国に経済協力が出来るのだと推測できる。

橋下佐内は「四方に迫る外界の勢力に対し、国内を大改革し軍備を増強しなければとても太刀打ちできない」と主張した。

そして日本は明治維新を経て国内を大改革し、軍備を増強近代化させ、当時最強と言われたバルチック艦隊に打ち勝ちコサック騎兵を打ち負かし、日清戦争を勝利し、八紘一宇の思想の下に皆家族であると、朝鮮、満州、台湾を急速に近代化させ、大東亜共栄の思想の下にアジア各国の独立に多大な貢献をしてきた。

日本がロシアに勝った時、白人国家に苦しめられていた人々の反応は狂喜でした。まさか小さい島国が当時最強と言われていたロシアのバルチック艦隊やコサック騎兵に勝てるはずがないと思われていたのでしょう。

孫文はこう記している。
「日露戦争の終わり頃、私が英国から帰国の途中、スエズやコロンボで、奴隷のように使役されているアラビア人やインド人が、私を日本人と間違えて『日本は勝った!』と狂気のように喜び叫ぶのを見た」と記述している。

また、日露戦争以降、インド、アラビア、ペルシア、トルコ、エジプト、アフガニスタンでは独立運動が起こりはじめました。戦争直後には、シルクロードの宿場という宿場に、明治天皇とアドミラル東郷の写真が飾られ、インド人は競って戸ごとに明治天皇の写真を飾りました。

江戸の末期に起こった、日米の不平等条約、薩摩藩主島津茂久の父・島津久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人たちを、供回りの藩士たちが殺傷した生麦事件、ロシア海軍による対馬を占領したポサトニック号事件を考慮すれば、日本の近代化があと10年遅れて居たら、日本も白人の植民地になっていた可能性は充分に考えられる。

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